紅双華妖眸奇譚 (お侍 習作89)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 
          



 初冬の未明はまだ、その夜陰も漆黒の闇が深くて。煌々と降りそそぐ月光だけでは、手元や足元も心許なかったものが。ここでは篝火が焚かれてあって、何とはなく人心地つける。例の祠のすぐ間際、東雲宿の飛脚らが馬の休ませ処にでもしておるものか、ちょっとした広場になっている原っぱには、東雲の宿からやって来た捕り方や、シズルの向かう先、東雲御領主のご本家からのお迎えの方々に守られた一座が、つい先程まで繰り広げられていた大捕り物への興奮冷めやらぬまま、それでも大人しく控えていて。そんな輪の中、座がしらのお妙や皆へ向け、別れの挨拶を告げにと足を運んだのは、勘兵衛と平八で。賊の一味へ攫われていったのは仲間内だし、これからは自分らでの対処となること。街道などよりもっとずっと堅守が利くだろう東雲の郷で、連中はすべてからげたという吉報をどうかお待ち下されと。本来ならば、十が十、確実なことでなければこうまでの言いようはしない惣領殿のこの言いよう。他でもない、彼らへ不安を抱かせぬようにと、気を遣っておいでなのだなと。これもまたある種の“策”なのへ、相変わらずの巧智を怠らぬ彼への苦笑を頬張りかけた平八だったが、

 『…わたしもお供させて下さいませ。』

 そんなお声が上がったのには、平八のみならず、勘兵衛自身もおやという意外そうな表情でその視線を瞬かせ。
『シズル殿?』
 さすがにあの、久蔵から着せられたものだろう真っ赤な戦闘服からは着替えていて、大人しめの拵えながらも、品のいい柄織りの袷
(あわせ)に筒袴という若侍風のいで立ちが、、しゃんと背条を伸ばされた肢体には凛々しく映えての、いかにも爽健そうな佇まい。そんな彼の申し出へ、だが、勘兵衛はきっぱりと言い放つ。

 『お主が同行することは特にまかりならん。』
 『…っ、何故ですかっ!』

 頼りにならぬということでしょうかと、少々語気荒い物言いをしかかったシズル殿だったのへは、周囲も意外に思えたか、
『左馬之介
(サマノスケ)様?』
『シズル様?』
 どうされましたかと訊かんばかり、おややと目を見張ったほど。こうまで利かん気な反駁を、それもお武家様を相手に放つとは。いかにも気弱そうだった、これまでの彼にはなかったことだから…それで。皆の驚きを誘ったようだったが、
『久蔵を案じてくれてのこと、それは有り難いのだがの。』
『…っ。///////』
 おおお、それで。ぐっと言葉に詰まった若様が、着替えたそれをそのまま抱えておいでの、あのお侍様が着ていた紅色の衣紋。胸元に押しつけての抱きしめるような所作を見せたところを見ると。勘兵衛が感じたその通り、彼もまた、あの寡黙なお侍様の身をひどく案じているらしく。

  ―― あなたに罪や科
(とが)はありませんよ、しっかりなさいと

 筋道立てての叱って下さった相手。これまで、意気消沈する自分を宥めこそすれ叱った人はいなかった。情けないと思われたかな、護衛についてて下さるというけれど、不甲斐ない奴よと思われてないかしらとびくびくしていたシズルへと、いきなり当て身を喰らわせて。

 < シズルとかいう若様はあんただね? 誤魔化そうたってその目が証拠だ。>

 そんなやり取りがおぼろげながら遠くに聞こえた。あれこそは、彼が攫われていったその時の会話に違いなく。寡黙で取っつきにくそうなお人だったのに、ちゃんと役目を果たしての、シズルの身代わりとなった久蔵であるということが、ありがたいと同時に…何とも口惜しいやら歯痒いやら。きっとその胸の中が、自分への怒りやら義憤やらで煮えていて、落ち着いていられぬ彼なのだろうと、そこは察しもつくことなれど。
『案じて下さるは有り難いが、お主がこちらの陣営におると向こうが気づけば、少々不味いことになるやもしれぬ。』
 勘兵衛の言いようはあくまでも淡々としており。
『…どうしてですか?』
『攫ったはずのシズル殿がまだこちらにおる、それではあれは誰だということになって。久蔵が偽物だということが、はやばやと露見しかねぬのだ。』
『……あ。』
 確かにそうはいなかろうからと目印となっていた“赤い眸”の若者だが、それでも…顔の造作も覚え知る者が見比べてこちらが本物だと露見すれば、向こうの手に落ちた方の久蔵はどうなるか。それをわざわざ説いて聞かせ、
『…。』
『解るな? そなたの気持ちは重々酌むが、こたびはどうか聞き分けてくれぬか?』
 大人しいばかりだった彼に沸いた、せっかくの奮起を萎れさせるのが勿体なくて。あくまでも我々の策の関係で生じた手落ちを拭いたいからと、だからここは一つ引いておくれと持ってゆく。

 “シチさんが常々言ってた“お優しい”とは、こういうことも含んでのことなのだろか。”

 眇めた見方をするならば、これもまた純な心や思いやりから出たものじゃあない、むしろ一種の巧智かも。だって、

 「相手方は、別に久蔵殿でも構わないのかも知れませんのに。」

 ここいらの言い伝えと、シズル殿の家系に伝わる赤い眸への口伝。それらからとある結論が出かかっていた矢先だったこともあり、暗に上手に言いくるめましたねという含みをにじませて、さらりとした声を掛けた平八へ、
「ずんと荒行となろう先行きだ、下手に同行させては危険だからの。」
 あくまでも足手まといになるという言い方は避けての、この際はどんな舌先三寸でも駆使するさねと。素人は連れて行けぬと断じた非情さ、そちらも悪びれぬ顔で肯定する勘兵衛で。
「この石はどれほどの間、光っておるのだ?」
 街道から外れ、冬枯れの始まってか下生えも乏しき丘陵地へと連なる小石の導べ。緑がかった光を足元に訊く彼へ、
「蓄光式ではありませんので、これより目映い環境下に持っていかぬ限りいつまでも。」
 お任せをと自信満面、頷いた平八は、無論のこと同行するぞということか…何やら長い包みを抱えての、闘志満々不敵なお顔。そんな彼へと苦笑を向けて、こちらはこちらで誰かさんの刀を小脇にたずさえて。煌月の照らす褪めた銀白と闇の漆黒の垂れ込める中、その足しっかと歩み出す、お侍二人であった。





            ◇



 当世の十五、六歳と言えば、既に元服は終えていよう年頃で。どんな深窓の若であれ、三つ四つ先の宿場までの一人旅くらい、やろうと思や出来て当然の仕儀ではなかろうか。シズル殿の場合は、あまりの突然に親御を失ったその心痛を慮ってのこと、周囲が先に手を打ってやってという色彩も濃いとはいえ、それでなくとも大人しげな存在だったことを重々と偲ばせる風情の若者であり。元から体が弱かったには違いないか、それとも寺預かりという育ちで世間を知らないところを案じられたか、このような道行きとなってしまった訳だけれど。思えば…そんな運びになっての旅を、素早く察知されているところも、

 “…重々怪しい。”

 もしやして。シズル本人への科はないという形では否定した言いようをしたけれど、彼の実家とご両親を害した不審火も、もしかしたならこやつらの仕業かも知れぬと、そうと繋いだ方が話も通るというものではなかろうかと。思い始めていた褐白金紅の、今回は“用心棒”さんたちであり。何かを探してみたが見つからず、無理から口を割らせたその末に。そんな痕跡を残さぬためにという、あまりに身勝手な後始末として屋敷へ火を放たれて、殺されたのだとしたならば。その後のリアクションを追ってのこと、シズルをお宝への鍵として手中に入れんとし、防御の薄い道中で何としてでも攫ってしまおうとした…と、話の流れとしては不整合もない。ただ、そうまでして彼らが欲しいものとは、一体何なのか。金品財宝だったとして、ここまでの頭数で分けるとなると、国が買えるほどもの額ででもなけりゃあ追っつかないのではなかろうか。今宵の騒動で大部分がお縄を受けた格好になっているとしても、取りこぼしは厳しく手配される。押し込み強盗、加えて付け火による殺人とくれば、死罪は免れられなかろうし、捕まった連中の大半が義理はないとばかりに口を割りもしようから。塒
(アジト)にて報告を待つ身の幹部格の連中は、たとえ逃げ延びても、その人相風体の詳細を綴られた手配書が広範囲に出回ってしまい。結果、派手な消息は立てられぬ身となるのは目に見えてもおり。そんな条件も考えると余程の代物ででもなけりゃあ割が合わないと思うのだが…。



 「…おお、戻ったか。」

 随分と用心しての段取りか、随分と草深い広野を抜けたその先の、森の奥の岩屋の洞口。見張りだろう武装した男が立っていたのが掛けて来た声へ、地からその身を浮かせての、長の距離をば滑空して来た鋼筒がひたりと止まる。
「それが例の若様とやらか?」
【 ああ。】
 太いパイプのような腕へと絡げて持ち帰った“戦果”を、軽く持ち上げて見せた鋼筒。あの手引きをした馬子の老爺は、途中でこっちの速度に追いつけなくなったのを捨て置いて来た薄情さもまた、いかにも賊らしいやりようで。追って来たとて切って捨てられるのが関の山。それを思や、どちらかといえば親切な手合いだったのかもしれない。意識がないままか、すっかり萎えての肢体をだらりとさせたうら若き青年。ちらりと覗く横顔は、成程、女のように色白で端正で。これなら娘手踊りの一座なんぞに紛れることも、決して無理な相談じゃあなかった訳だと、妙なことへと感心してから。
「けどよ、こいつに間違いないのか?」
 何でも侍らしい手ごわそうな助っ人が加わったというじゃあないか。元軍人の侍ならば、それなり兵法の何のと戦さの学もあろうから、ゆめゆめ簡単には攫わせまいにと、案じるようなことを訊くのへ、
【 確かにな、偽装の小細工なんてものを構えてもおったが。】
 そこは内通の草がおったから。むしろ、こっちがそれへ気づいていない振り、新しく加わったばかりの一味を、何にも言ってやらぬままそっちへの急襲にかからせて、向こうの手を精一杯に封じておいて、
【 その隙に、祠へ匿われておったのを呼び出して、真っ赤な眸を確かめてから当て身を喰らわせてのこれこの通り。】
 難なく掻っ攫って来れた次第よと、全てが自分の頭から出た即妙さや機転であるかのように、我が誉れのように嘯
(うぞぶ)く、鋼筒乗りの野伏せり崩れだったのだけれど、
【 …あ?】
 不意に、何とも間の抜けた声を出したものだから。何だどうしたよと、それでも気やすい様子のまま、応じた見張りの仲間へ向けて、

  ―― ぶんっ、と

 丸太のような鋼の腕を繰り出して来たから、
「な…っ!」
 何だどうしたと、今度は目いっぱい驚いての金切り声を上げたのへ、
【 わ、わわっわわっ!】
 ご当人も大きに泡を食っているらしき覚束なさを露呈して、何ともみっともない素っ頓狂な声を上げながら、鋼筒殿、ご乱心かという暴れよう。鋼の筒が重なり合っての曲がったり延びたりできる仕様になっているその腕が、あらぬ方向へと折れ曲がっており、それを戻したいのだろうに侭ならず、その手の先に握られていた楯のような大刀を、盲滅法振り回す格好になっており。浮遊のためのバランスこそ、何とか取れているものの、正面を向いてのじっとはしておれなくなっての大暴れ。至近にいては斬られてしまうと、尻餅をついての後ずさり、逃げ出そうとしかかった見張りの声で呼ばれた格好、洞の奥向きから何だなんだと出て来た連中に逃げ道塞がれ、
「うわっ!」
「何だ、こいつっ!」
「乱心したのか!」
「いや、そうじゃなくて…。」
 ぶんっと宙を薙いでの大きく振られる切っ先に、あわあわと逃げ惑う連中の只中、

  ―― しゃりんっ、と。

 妙に涼しい音が立った。得体の知れない事態への混乱を、一刀両断、圧し伏せるように静めもしたその音は、

 「あ…。」

 丁度、洞口の真ん中に自慢の得物を抜き身にして立っていた、坊主頭の大男がその手を見下ろす姿に重なっており。何が起きたか解らないが、あれ? 俺の刀はどこいったと、顔を下げたその途端、肩から脾腹へかけての衣紋が、懐ろに何か飛び込んでの下から押されたように膨れ上がって来て…勢いよく飛び散ったものに汚される。
「な…っ。」
「どうしたっ!」
 仲間内でも一、二を争う短気な輩。頭に血が上っちゃあすぐ刃物を抜いての殺生沙汰をを起こす暴れ者。それが…なのに、刃を見失いの、先に誰ぞかに斬られているとはと。あり得ないことへ皆が驚き、立ち尽くす中。ぐらりと頽れた大柄な体躯のその陰に、すらりと立ったる誰かの背中が見える。そやつが肩越し、こちらを見やったのと。宙でぐるぐる、見苦しくも回り続けていた鋼筒の身が、とうとう耐え兼ねたか火花を散らして腕を飛ばしたのとが重なって。蜜柑色の火花が照らし出したは、真っ直ぐな黒髪を背中へまで垂らした、淡い色合いの振り袖に袴という稚児衆姿の青年が一人。
「…あっ、そいつぁっ!」
 とうとうバランスも崩れたか、腕の爆発の反動で洞口から離れた鋼筒が、今の今、連れ帰ったところの件
(くだん)の若様。見張りが指差しながらそうと告げようと仕掛かったものの、
「こいつっ!」
「何もんだっ!」
 周囲の面々がいきり立ったのと入れ替わり、様子が変だぞと声が萎んだ。娘らに紛れてもなかなか目立たぬ、何とも大人しげな風情の若いのだと、確か言われてなかったか? だのに…そこに立つ青年はと言えば。だらりと下げた手には、すぐ背後に頽れ落ちた巨漢の坊主が自慢にしていた得物、青光のする大太刀をうっすらと血に染めて持っており。ほんの数瞬前には、鋼筒に抱えられての人事不省でいたはずが、何でどうしてあんなところに立っているのか、その辻褄が合わなくて。
「畳んじまえっ!」
「おうさっ!」
自分らを捕まえようとする捕り方か、若しくは奇襲を掛けて来た命知らずの人斬りか。どっちにしたって不審な輩、此処を知られたからには生かして返す訳にはいかねぇとばかり、どっと一斉に襲い掛かった頭数は、十人でこぼこいただろか。

 “…え?”

 どいつもこいつもそれなりに、悪名知られた悪党揃い。今宵は決戦とあって、此処に待機の口もまた何やら総身が騒いでいたらしく、何かしらの“捌け口”を探していたのは否めない。そんな狼たちを前にして、

  ―― ばっさとなびいた大振り袖の淡い紫紺が、鮮やかに宙を薙ぎ

 それを追うよに、銀の動線が夜陰を鋭く切り裂いて。最初に尻餅をついたそのままの格好で、一部始終を見てしまった見張りのすぐ目の前にて。一斉に襲い掛かったはずの荒くれたちが、棒を飲んだように立ち尽くしたのが、まずは何とも言えず異様な光景であり。

 「ぁ…。」

 あえて表記すればそんな声がしたかなと。そうと思ったその間合いを押し潰し、ずらり並んだ男らが、ばたばたばたっと重い塊と化しての倒れ伏す。意識がなくなっての膝から順番に身が折れてって…なんてな悠長なそれじゃあない。尻から背中から、重いとこから真下へと。どすんばさんと無造作に落ちて転がった者らはもう、息もしてなきゃ生き物でもなくなっており、

 「…う、うわぁああぁああっっ!!!」

 こんなまで鮮やかで非情な“処刑”なんて、臍の緒切ってのこのかた見たことがないのだろう。一端の悪党のつもりでいたはずの見張りが、何とも言い難いわめき声を上げて、こんな殺され方はいやだとの必死、洞の外へとあたふた逃げ出す。足が地につかないままのデタラメな駆け方をして逃げ去った途中には、腕へ串のような小柄を突き立てられた鋼筒が転がっており。倒れ込み方が悪かったのか、中に搭乗している者がどんどんと叩くがハッチが開かぬ模様。蒼月が見下ろす下界へ、音もなくのひらり舞い降りた今宵の悪夢は、さて、どちらの陣営を好むのだろか………。




 怪しまれては何にもならぬと、武装なんてしてはいなかった。当て身を食らわせた若いのへ、自分の紅の外套を着せかけて。自分は適当に…衣装の桑折から組になってしまってあったのを引っ張り出しての身にまとい、髪の色も取り替えねば怪しまれるかもと、かもじをかぶっての祠の前で立っておれば、声を掛けてきた者がいて。よく見えるよう、月の真下に顔をさらせば、拳を繰り出して来たのが見えたので。腹を軽く張っての衝撃を防ぎつつ、表向きには当て身が入った振りをして、担がれたまま運ばれてやった久蔵であり。目眩ましも兼ねてのこと、鋼筒こそ叩いたものの、さすがに何も持たぬでは突入も侭ならないかと思っておれば。さしたる統制も取れてはいないか、どれでもお使いと腰や背中へ得物を提げた一団が現れてくれたので。敵の刀をまんまと奪っての、強硬突入を敢行し始めた怖いもの知らず。自分の使い慣れた双刀には到底おっつかぬが、それでも二本の和刀を奪っての、当たる端から斬り、裂き、薙いでの進軍は、通った後へ屍の導べを残すという何とも凄惨なものであり。
「な…っ。」
「こんのやろっ!」
 何しろ見た目はひょろりと細い若者で、しかも、稚児衆の振り袖姿といういで立ち。こんな存在を初見で怖がる悪党はそうはいない。振り袖の長い袂が、だが、血しぶきをまるきり浴びていないがため、どんな修羅を暴走させての物騒な突入なのか、相手へは欠片ほども伝えないものだから。どうやってこんな深部にまで紛れ込んだと、それのみ不審に思っての、取って捕まえべえと不用意に近寄れば。
「うおっ!」
「ぎゃあっ!」
 容赦のない斬撃が飛んで来て、肩やら腕やら切り裂かれ、何しやがんだといきり立っての躍りかかった者は、確実に息の根を止められる。昔からあったものなのか、地下へ地下へ延びる、岩を刳り貫いた作りのその隧道のところどこ。壁沿いに設けられた篝火の炎に照らされて、白い顔へと落ちる陰影が妖しいくまどりとなって揺れる様は、ただただ薄気味が悪いばかりのそれで、
「な…なんだ、貴様はよっ!」
 上から鳴り響く絶叫が、さすがに事態の急変を伝えたか。かなり奥まったところまでを一気に降りて来た久蔵の、行く手へ立ちはだかった何陣目かの敵陣営は、無謀に突っ込むということはしなかったものの、それでも戦意は隠しちゃいない。それぞれの得物を抜き放ち、これ以上の傍若無人な突入は許さぬと、切っ先揃えて身構えてはいるものの、
「…。」
 その身の前にて交差させたる腕の先には、途中で血脂が乾いての切れ味が落ちたからと、もぎ奪り直しての持ち替えた長太刀二振り。順手と逆手に握り分け、上へと下へ、切っ先を互い違いに構えたは。左右のどちらもが主手とする、彼独特の二刀流だからこその基本体。決して威圧するような気配はない。むしろ、あまりの冷たさと幽玄とした虚ろさに、吸い込まれるように切っ先を揺らす者がいて、

 「…っ。」

 じりと沓底を擦っての僅かほど、身動きをした手合いの呼吸を拾い。ぐんと身を沈めたような気がしたと、その動きを目でなぞっていた者が、そうと頭で把握した次の瞬間にはもう。凄まじいとしか言いようのない瞬発から押し出された痩躯が、こちらの間合いへ深々と押し入り、頚部を切り裂くか…それとも離れ際に脾腹を上へと引っ掻き上げるか。鋭く切り裂かれた筋肉を押し分けて、肌から吹き出した血潮が外へと噴き出す時点でもはや、次の対象へ飛び掛かっている素早さでは、

 「…成程、あれでは血しぶきの浴びようがないか。」

 隧道の終点間近い空間は、地上までではないながら、それでも此処まで潜っただけの深さの半分はあろう、ちょっとした吹き抜けを天井と仰ぐ、結構な広さの広間のようになっており。行き止まりの壁肌から見晴らしやぐらのように突き出した棚に、先程から姿を見せていた男がいる。袖のない羽織の肩先を左右へと突き出させた陣羽織や狩袴というあたりは、大昔の武家や侍の正装によく似たいで立ちであるけれど。袷
(あわせ)の上、羽織りの下に引っかけているのは、北軍が着ていた濃緑の軍服に違いなく。

 「…っ。」

 そちらからの殺気を感じ、手の届く範囲の全てを薙いでから、更に素早く退いた後へ、久蔵が髪を隠していたかもじが残る。自毛へ留めてあったピンを、飛んで来た何かで弾かれたからであり、狙ってそうなったかそれとも、久蔵が避けると見越して外したからそうなったかは微妙なところ。


  「さながら“死神のご入来”というところかね。」


 若くも見えるし老けても見える、ただ尋常ではないほどの威容をまとった男が、こちらを悠々と見下ろしており、
「よくもまあ斬ったものだねぇ。」
 それも、氷のようなその顔、一縷も揺らがせず震わせず、凍りつかせた表情もそのままにと来たから驚いた、と。少しも驚いてなんぞいない口調でまくし立て、
「ま、君だって気がついただろ? 大した陣営じゃあない。」
 呼んでも招いてもないのにさ、何かおいしい匂いがするって、勝手にやって来ての仲間ヅラして加わったクチが結構いてね。
「頭数が減った方が統率も取りやすかろうしね。」
 何より、こんな簡単にやられるような輩じゃ困る。その淘汰をしてもらえて助かったよ、と。その口元へ薄く笑みを浮かべまでして言うものだから、

 「…。」

 冷徹な悪党も珍しい話じゃあなし、ただまあ他人事ではないこと しろ示してやろうかいと。心持ち引いていた後足へ重心を移したその間合いへ、

  ――― ふやあぁぁんん、と

 不意に鳴り響いたのが、赤子の泣き声で。
「…っ。」
 あまりに場違いな声に、おっ、と。注意を削がれての、久蔵の動作が止まる。どこから聞こえたものかと見上げれば、先程から偉そうに人を見下ろしていた男の立つ棚の向背あたりに、もう一人、こちらは粗末な衣紋の男が立っており、その腕へと抱えられているのが、どうやら赤ん坊であるらしく。
「どこの子か、何て名前かは私も知らない。」
 手前の陣羽織の男が、歌うように楽しそうに言い放ち、
「餌にするから攫って来といてと言っただけだからね。それ以外の指定はしなかった。」
「…で。」
 下らぬ遠回しな言いようはたくさんだと、話の先を久蔵が一言ならぬ一語で促せば、

 「君が言いなりにならないと、この子が死ぬってこと。」
 「…だが。」

 何か言いかけるのを、今度は男が奪うようにしての遮って、

 「うん。君はシズルとかいう若様じゃあない。」

 黒髪が落ちるより前から、そのくらいは見通していたさと口の端を引っ張りあげての笑って見せてから、


  「でもね、いいんだ。その赤い眸でも十分に、役に立つと思うから。」


 あくまでも、淡々と。強いて言えば楽しげに。そんな話し方や態度には嫌な覚えがあってのこと、久蔵にはめずらしくも、その細い眉が軽く顰められている。ちょっと昔、自分たちを翻弄し、世界をその手へ掌握しようとしていた傲慢な若いのに、どこか重なって見えたからだろか………。







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  *こちらさんのほうも、なかなか一筋縄では行かないようで。
   もうちょっとだけ続きますです。
(苦笑)


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